2017-08

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テンプレートを変更したので出力テスト。

および過去記事の推敲と添削といとしさとせつなさと近藤サト。
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ヲカシの現状について

先日誕生日を迎え、人生の三分の一くらいを終えたのを機に「をかし」なるものについてつくづくと考えてみる。

 ***

私は「をかし」というのがどういうことなのかよく知らない。

その言葉の指すところについて私はかなり長い間、敢然とテキトーを貫いてきた。人間を長くやっていると、どういうわけか見た瞬間にぞぞと鳥肌が立つもの、どういうわけか目を奪われるというものが世の中に時折ある。これがもしや例の古文の授業でやったヲカシとかいうあれか、とある時合点して、そのように呼んできた。

「をかし」の懐は思いのほか深かった。「台風の夜に暴風圏の真ッ只中でセミの羽化に一部始終つきあわされる」などというドラマなヲカシもあれば、「おんなのわるぐちをさんざんに叩いて酒をかっくらってねどこにばたりと寝転んで空を見上げたら飴色の半月が浮かんでいた」などという実にほのぼのとしたヲカシもあった。それらを総てイトヲカシと纏めてぴいぴい喜んで来、それなりに面白く過ごして来たのだが、あるときから少しうまく行かなくなった。

テキトーさにはテキトーゆえの苦しみがつきまとう。ルールのない遊びはむずかしいものだ。なにやら目をつむってぞうの足を撫で、むつかしい顔をして「岩だな」とつぶやいて目をつむったままはしゃいで喜んでいる、とでもいうような、まるで見当の外れたことをして驕っているだけなのではないか、要するに自分はばかものなのではないかという不安にふと襲われるようになった。

「をかし」の本来意味するところのものをきちんと勉強してみるか、と、先日思い立った。

そうと決まれば第一人者、「をかし」といえば清少納言大先生である。昔学校の古文の授業で読んだきりの『枕草子』を一大決心をして購入して、とっぷりと読んだ。「春はあけぼのがいえー」という有名な箇所はもちろんふかぶかと心して読み、「あの月光は庶民どもには勿体無い」という無茶な呟きに驚いたりしつつ、それなりに面白く読んだのだが、わかったことがひとつある。

「をかし」というものがさっぱりわからない。

『枕草子』にはなるほどと膝を打つこともあればなぜと噛み付きたくなることも等しくあり、個々の「をかし」の例から骨子となるところのものを掴むことが出来ない。勿論、あるものが「をかし」であり、またあるものがそうでないとされる、その判例をとりあえず飲み込んでしまうことは出来るが、しかし先生の時代からもう千年経った。千年前に無かったものについては現代の我々が判定せねばならぬ。骨子がわからぬままでは進まない。

うんうん唸ったがわからないものはわからないので散歩に出てみた。

近くの遊歩道にさらさらと葉を揺らす風流なモミジの並木があり、ベランダから見下ろすとそろそろいい色になっていたのでふらりと眺めに行ったのだった。道に沿って並んだ十本・二十本、案の定、枝の先から樹の付け根までモミジは見事に真ッ赤に染まっていて、それはもう風情だった。

しかし同時にそれは終わっていた。

自分の中でのヲカシが少し色を変えているのにそこで気がついた。

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秋風のフォルテシモ(二)

その略号を以下に示す。

 【Of】

これが今回新たに発明された「fff」の上にあたる演奏記号である。強意の上級系だと思っていただいて結構である。
そしてしばしば、これが強意の最上級形となるだろう。

今回、発音の簡便化の提案に伴い、従来見過ごされがちであったある点についても踏み込んで考えてみた。

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園芸の道には鬼が住まふと云う。いや云いはしないのだがそう思う。

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